東野圭吾 『人魚の眠る家』ある日、娘が意識不明に。脳が動いていないとしても・・・親はどうするべきなのか。エゴと愛の境界線とは?実写映画もされた名作。

こんにちは!只野です! 今回は篠原涼子さん主演で実写映画化もされた『人魚の眠る家』をご紹介致します。 率直に言って涙腺が壊れます(笑)テーマがなかなか重いのですが、深く考えさせられる内容です。 一つに日本の『脳死判定』、このことに伴った移植問題に切り込んでいます。

日本の脳死判定に関する参考に

病院に入院(病状説明/臓器提供についての情報提供): 事故や病気による脳障害などで入院した人に対して、最善の救命治療を行ったにもかかわらず、回復の可能性がなく、救命が不可能であると診断された場合の終末期医療の選択肢の一つとして、臓器提供があります。

臓器提供についての説明: 主治医等が、本人の状況を脳死とされうる状態と診断し、家族に病状説明をした際に、家族から「臓器提供について詳しい説明を聴きたい」との申し出があれば、主治医からJOTに連絡が入り、JOTが臓器移植コーディネーターを派遣し、臓器提供に関する説明をします。

家族の意思決定: 家族は、臓器移植コーディネーターから説明を受けた後、十分に話し合い、臓器を提供するかどうかを家族の総意として決めます。提供しないと判断しても不利益な扱いを受けることはありません。

脳死判定: 家族の承諾を踏まえて、法律に基づいた厳格な脳死判定を2回行い、2回目の脳死判定が終了した時刻が死亡時刻となります。家族が希望すれば、脳死判定に立ち会うこともできます。 心停止後の臓器の提供では、法律に基づく脳死判定を受けることはありません。

移植を受ける患者の選択: JOTに登録している移植希望者の中から、医学的に最も適した人がコンピューターを用いて公平に選ばれます。

https://www.jotnw.or.jp/ 参照

物語の概要

ある日、娘が水難事故で動かなくなった。医師は脳死は確定だと言う。だが、日本の法律では移植する意思がある場合に限り、脳死判定することができる。当然、親は我が子の死を認めることはできないのだ。そんな時に電気を送ることによって体を動かす技術を娘に試すことになる。電気が送られることで動く手。これは娘の意思ではない。娘は脳が働いていないのだ。これは親のエゴか精神はどこにあるのか。いつが死かなど。哲学的な内容になっている。

私も深く考えました。色々な問題に興味を持つべきですね。