・あらすじ(ネタバレなし)
舞台は、人口が激減し「廃村寸前」となった架空の村・簑石(みのいし)。そこへ県庁から派遣された職員・万願寺邦和(ばんがんじ・くにかず)は、村の再生プロジェクトの一環として、「移住者支援制度」を進めていく。
制度によって数組の移住者が村にやってくるが、彼らは次々と訳ありの理由で去っていってしまう。なぜ人々はこの村に定着しないのか? 住民の反発? 外部からの偏見? 万願寺は、表面には見えない真相を追っていく。
短編連作形式で進行する物語は、やがて一つの「大きな真実」へと収束していくのです。
・限界集落というリアルな舞台設定
『Iの悲劇』の舞台である簑石村は、もはや“消滅”を目前にした限界集落。このリアルな設定は、現代の地方が直面する課題と重なり、多くの読者に現実感をもって迫ってきます。
地方創生、移住支援、行政のジレンマ——ニュースでは語られない「個々の人生の重さ」を、この物語は描き出します。
・誰も悪くない。でも、何かが間違っている
本作に登場するのは、あからさまな悪人ではありません。万願寺をはじめ、登場人物たちは皆「よかれ」と思って行動しています。にもかかわらず、物事は少しずつ歪んでいく。
そのズレこそが本作の核心であり、「善意の押し付け」や「正しさの暴力」に読者が気づかされる瞬間は、非常にスリリングです。
・タイトル『Iの悲劇』の意味
「I」とは何か?
読者は物語を読み進めるなかで、「I」が何を指すのかを徐々に理解していきます。そして最後にたどり着く「Iの悲劇」という言葉の重み。その意味に気づいたとき、静かに背筋が凍るような感覚がやってきます。
このタイトルの秀逸さも、米澤穂信らしい計算された構成力の一端です。
・読後の感想:社会派ミステリーの傑作
『Iの悲劇』は、読後に「何か言い知れない違和感」が残る作品です。スカッとした解決も、爽快な正義もありません。それでも最後までページをめくらせる力があるのは、登場人物のひとりひとりに血が通っているから。
これは単なるミステリーではなく、「物語としての問いかけ」を持った文学作品です。
・こんな人におすすめ
- ミステリーが好きだけど、もう一歩深い読書体験をしたい方
- 地方社会や行政、限界集落の現実に関心がある方
- 『満願』や『王とサーカス』など、社会的テーマを持つ作品が好きな方
- ヒューマンドラマと知的な構成が融合した作品を求める方
まとめ:その“善意”は誰のためのものか?
『Iの悲劇』は、静かに、しかし確実に問いかけてきます。
「あなたの正しさは、本当に誰かを救っているのか?」
米澤穂信は、この作品で読者に明確な答えを与えることはしません。けれど、読み終えたとき、私たちの中には確かな問いが芽生えているはずです。
善意と欺瞞、地方と都市、希望と絶望。その間で揺れ動く人間の本質を描ききった『Iの悲劇』は、まさに今読むべき一冊といえるでしょう。