重松清の短編集『ビタミンF』は、2000年に刊行され、第14回山本周五郎賞を受賞した作品です。
タイトルにある「F」は Family(家族) のF。けれど描かれるのは、理想的で円満な家族ではありません。
どこにでもある家庭、ありふれた親子や夫婦。
そこに漂う倦怠や誤解、そしてささやかな希望を描き出す物語たちは、30代・40代という「若さ」と「老い」の狭間を生きる世代に深く響きます。

「ゲンコツ」――まだ38歳、もう38歳
同期の吉岡と雅夫。
「まだまだ38だ」と仮面ライダーのポーズを決める吉岡に対し、「もう38だから」と嘆く雅夫。
ある日、街の不良少年たちに立ち向かった雅夫は、最後にヒーローポーズを取る。拳は振り下ろせなかったが、彼は「若さ」を取り戻した。
大人になりきれない中年の痛々しさと、それでも小さな勇気を絞り出す姿 が切なくも眩しい。
「はずれくじ」――父と子、二組の関係
妻の入院で息子と2人きりになった修一は、父の宝くじ好きの記憶を思い出す。
父は「当たればどこへでも行ける」と言っていたが、実際はたった1枚しか買っていなかった。
逃げるのではなく、現実を受け入れていたのだ。
息子と向き合う覚悟を得た修一に重なるのは、世代を超えて繰り返される父の不安と責任。
「パンドラ」――秘密の箱を開けてしまった父
娘の奈穂美が万引きで補導された。さらに年上の男といたと聞き、父・孝夫は激しく動揺する。
娘の「秘密」を知ったことをきっかけに、妻や自分自身の過去の箱を次々と開けてしまう孝夫。
女らしさや貞操を求める古い価値観をまとった男が、家族の現実に直面する物語。
最後に閉じられたオルゴールとともに残るのは、希望か、それとも諦めか。
「セッちゃん」――いじめられているのは誰?
「セッちゃん」というクラスメイトがいじめられている、と娘は語る。
だが実際はいじめられているのは娘自身。彼女は自分を守るため、虚構の「セッちゃん」を作り出していた。
父・雄介は真実を問いただすこともできず、ただ「流し雛」に祈る。
娘のプライドを守るか、壊すか――親が抱える葛藤 が胸を打つ。
「なぎさホテルにて」――もしもの人生、いまの家族
家族旅行で訪れた「なぎさホテル」は、かつての恋人と過ごした場所だった。
未来ポストに託した手紙を受け取り、達也は「もしもあのとき結婚していなかったら」と思い描く。
しかし、手紙を読み終えたとき気づく。
自分の幸せは「もしも」ではなく、今ここにいる家族の中にある のだと。
「かさぶたまぶた」――弱さを見せること
娘の優香が描いた自画像は、邪悪な仮面と空っぽの顔。
完璧主義で強さばかりを求める父・政彦に、娘は息苦しさを感じていた。
やがて父は弱さをさらけ出し、親子の関係は応急手当のように修復される。
「閉じられたまぶたは、かさぶたなのかもしれない」。
時間をかけてしか癒せない家族の傷 を示す言葉が余韻を残す。
「母帰る」――壊れた家族と、多様な幸せ
父は別れた妻ともう一度暮らしたいと言う。
姉は不倫で離婚し、子を育てている。
主人公の僕は平凡ながら幸せな家庭を持つ。
「壊れた家族」と「続いている家族」。
けれど幸せは一つの形ではなく、人の数だけある。
現代的な「家族の多様性」を静かに問いかける物語。

『ビタミンF』が描くもの
これら7つの短編を通して描かれるのは、 家族という存在の不完全さ です。
理想からはほど遠く、時に傷つけ合い、時に逃げ出したくもなる。
それでも不思議と「そこに戻っていくしかない」という、人生のどうしようもなさ。
『ビタミンF』は、30代・40代の私たちが抱える「まだ若い」と「もう若くない」の狭間の揺らぎを、
家族という鏡を通して鮮やかに映し出しています。
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